清人は文政10年(1827)に生まれ、庄内藩の御用鍛冶であった斎藤小四郎、現在のあさひや旅館の養子となった。本名斎藤小市郎。
やがて清人は江戸に出て名のある刀工になりたいと願い、26才で山浦清麿に入門、師匠から一字もらって清人と名乗った。安政3年(1856)神田小川町に開業し弟子を抱えてからは江戸の名匠としてその名が広まった。慶応3年(1867)豊前守藤原清人の拝命を受け刀匠として最高の名誉を得た。その後養父が還暦となる年に故郷あつみ温泉に戻った。明治3年には再度上京し明治天皇に献上する刀を鍛造した。明治30年、孫にあたる酒造之助が海軍学校に入学した際に祝い刀として作った刀を最後の作として、明治34年75才で世を去った。
昭和47年に日本美術刀剣保存会全国大会がここあつみ温泉で開催された際、清人の明光を後世に伝えようと、顕彰碑が建立されたものです。彼の精進と努力には庄内人の辛抱強さと真面目な人間性がうかがえます。碑文には「名人有似取二ツ酒呑銭無ト」と記されている。
日本美術刀剣保存協会庄内支部では毎年碑前祭を開催。